老舗日本料理店の軒先借りてラーメン屋台
「あとつぎ」さん奮闘記(1)さかえ寿司 五代目 渡辺よしちかさん
若松を興す
若戸大橋の下り車線、大橋通りバス停横に活魚割烹「栄寿司」があります。創業は大正15年(1926)。厳しいコロナ禍を乗り切った若松屈指の老舗割烹は、創業100周年に向け新たな方向性を模索しています。今日は、深夜にラーメン屋台を営む栄寿司五代目の渡辺芳親さんにお話をうかがいました。
老舗割烹の駐車場で深夜営業のラーメン屋台を始めたきっかけは何ですか。
渡辺さん:元々は6年前まで、父が不定期にラーメン屋台を出していましたが、本業の方が忙しくなったことと、その後、広がったコロナ禍の影響で屋台を閉めました。父がやっていた当時は、夜の10時から深夜1時までの3時間程度の営業だったそうです。
コロナが収まり始めた昨年11月に、自分で組み立てた屋台でラーメン営業を復活させました。勿論、味は父の出していたものがベースですが、屋台再開は父の勧めではなく、自分で勝手に始めました。当時はお客さんの足も遠のき、若い自分が何かしないと栄寿司の集客もままならないと感じたからです。
栄寿司の厨房仕事と屋台の仕込み仕事の両立は大変でしょう?
渡辺さん:栄寿司はお昼の営業の後、一旦店を閉め、夕方5時から夜9時半まで営業します。その間は栄寿司の厨房を手伝い、閉店後に屋台を始めます。雨の日以外は毎日開けています。
屋台を始めてもうすぐ1年経ちます。売り上げは今のところ順調ですが、屋台関連の荷物が溢れ、本店(栄寿司)に影響が出始めています。お寿司屋さんで豚骨の匂いがしたらまずいですからね・・・(笑い)。
ラーメン屋台にはどんな計画を持っていますか
渡辺さん:お客さんたちに聞くと、天候を気にせず、周囲の苦情に対処するためにも店舗を構えた方が良いとの意見が多いです。屋台の雰囲気を醸せるような物件があればいいのですが、なかなか見当たりません。
いずれは栄寿司を引き継ぎことになるでしょうが、まだまだ父が現役ですので、しばらくはラーメン業に専念して、これを軌道に乗せるため色々な挑戦をしたいと考えています。
栄寿司の将来についてはどうですか。
渡辺さん:コロナ以降、団体客が少なくなり、臨機応変の対応が求められているように感じます。若松一繁盛する店にするには、高級割烹という従来のイメージを払拭することも必要です。客層に合わせて各階を構成し直すことで、食材ロスを抑えた料理提供ができます。「伝統」を負担に感じることもありますが、自分にとって栄寿司は、いわば母艦のようなものです。栄寿司という母艦から飛び立ち、いずれは帰還するといった気分です。
若松生まれ若松育ちの渡辺さんにとって、地元に足りないものは何だと思いますか。
渡辺さん:近くのビジネスホテルを利用する出張者の多くが屋台に来店しますが、夜10時を過ぎると開いている店がないとよく耳にします。どこか灯りをつけて頑張る店がないと、人の流れが消えた寂れた街区になってしまいます。
若戸大橋のライトアップや散歩気分で登れる高塔山からの夜景など、夜に楽しめる観光スポットがあるんですから、南海岸通りで定期的に屋台村が開催できるようなインフラ整備をしてほしいですね。洒落たカフェやレストランもいいですが、洞海湾には屋台村が似合うような気がします。南海岸通りと近隣商店街を回遊するアイデアを応援する仕組みづくりなども必要です。
また、若松渡船の乗り場を若松駅の近くに移転すれば、若松駅を利用する人の流れが増えると思います。今の渡船場だと若松駅から歩いて15~20分かかり、渡船を使って小倉まで行くには結構体力を消耗します。若戸渡船の乗船時間が少しでも長くなれば、若戸大橋を眺めながら洞海湾の潮の香りを楽しみ、日常の中でちょっとした観光気分が味わえ、新たな観光資源の発想も生まれると思います。
※近くの店舗に移転し、11月中旬から営業を再開します。
栄寿司の詳細は、https://akr6607592998.owst.jp/をご覧ください。