WAKAMATSUの記憶
百四十万人が訪れた若戸大博覧会
特集 若松トピックス 若松百年史
今から62年前の昭和37年、若戸大橋の開通を記念する博覧会が開催された。若松と戸畑に設けられた博覧会場の入場者総数は延140万人。9月28日から11月25日までの会期中、人口約20万人の若松・戸畑両市に全国から多くの観光客が押し寄せた。
世界の宇宙開発をテーマにした戸畑会場。親子で楽しめる遊園と観光、郷土色溢れる文化展示が特徴の若松会場。それぞれに趣向を凝らし、会期中には人気映画の現地ロケや有名歌手が出演する舞台演出、ミス若戸博コンテストなど多彩なイベントが催された。
また、新聞・テレビ局が実施した「北九州市の将来を予想した“夢の構想図”」コンテストでは、響灘埋立地域に国際空港を誘致するなど興味深いアイデアが紹介された。
- 五市合併の気運高めた博覧会
日本経済が高度成長期を迎え、北九州地域においても相次いで大規模博覧会が催された。昭和33年春に関門国道トンネル開通を祝う「門司トンネル博」、昭和35年春には市制60周年を記念した「小倉博」を開催。若松・戸畑両市においても若戸大橋開通時の博覧会開催計画が具体化しはじめた。
予算総額6億5千万円(当時)、戸畑と若松それぞれに計画された博覧会場は、若戸大橋の戸畑側橋脚一帯(1万5千坪)に設けられた戸畑会場と高塔山公園一帯(4万7千坪)に展開される若松会場の二カ所であった。
若戸大橋が開通して二日後の昭和37年9月28日、戸畑市文化ホールで行われた開会式には国内外からの来賓含め二千余名が参列し、59日間に及ぶ大博覧会が開幕した。
- 趣向凝らした博覧会場の賑わい
戸畑会場では特別企画として米ソ両国の宇宙関連資料を中心に、7館2施設での多彩な展示が注目された。
宇宙関連展示館の中でも最大規模のアメリカ館では、実物大のバンカーロケットや多段式ロケットの内部構造模型、宇宙基地の衛星船追跡状況、カプセル回収実験が行われるなど人気のパビリオンであった。
入場門正面には高さ25メートルの五段式有人ロケットの模型が据えられ、発射までの経緯を米宇宙基地の実録音、発射時の爆音やもうもうたる白煙の噴射など現地さながらの光景が展開された。
また、ソ連館ではボストーク1号の軌道説明、月裏面写真撮影の軌道、ルニク3号、スプートニク2・3号などソ連宇宙科学の現況が展示され、当時の先端技術を紹介する電気科学館や近代工業館、地元大手企業のパビリオンや観光物産館が人気を集めた。
一方、若松会場では洞海湾周辺の工場群や若戸大橋が眺望できる高塔山会場の特徴を活かし、行楽遊園地として家族連れが楽しめる展示空間が演出された。
高塔山のカッパ伝説にちなんだカッパ館や児童文化館、物産館など観光・文化をテーマにした多彩な企画館が設けられ、地元企業を紹介するパビリオンや高塔山展望台に繋がるロープウェイには長蛇の列ができた。また、西日本一の規模を誇る本格的な遊戯施設や観覧車のある「こどもの国」は家族連れの人気スポットになった。
- 博覧会を沸かせた多彩なエンターテインメント
若戸博を全国的にPRするテーマソングとして、開催前年に広く一般から公募した「若戸大橋の歌」企画には2千編近くの応募があり、音頭の部、歌謡曲の部それぞれの入選作が東芝レコードから発売され博覧会を盛り上げた。
また、博覧会後半の11月には若戸大橋と若戸博を舞台にした映画撮影のロケ隊が両会場を訪れ、「ミス若戸博コンテスト」とのコラボ企画が博覧会場を賑わせた。
なかでも、ミス若戸博入賞者が出演した東宝映画の人気シリーズ「社長漫遊記」のロケでは、若松会場の展望センターやロープウェイ、戸畑会場の宇宙関連施設が撮影され、主演の森繁久弥をはじめ俳優陣と観客のふれあいや両会場に設けられた演芸館での特別出演が人気を博した。
<参考資料>
「若戸博(若戸大橋完成記念 産業・観光と宇宙大博覧会)」, 若戸博会長(若戸博会誌編纂事務局), 若松博協会, 昭和39年3月25日