洞海湾を臨む展望台

高塔山エリア

観光スポット

標高120m余りの高塔山は市民のジョギングコースとして親しまれています。
中世には山城があったと伝えられ、展望台からは東に若戸大橋、南に皿倉山、北に響灘が臨めます。
また、北九州市が「日本新三大夜景都市」に認定されたことで、高塔山からのナイトビューが注目されています。

【交通アクセス】

  • JR「若松駅」から麓の佐藤公園まで徒歩約20分、高塔山山頂まで徒歩約30分。 
  • 北九州都市高速道路「紫川ジャンクション」より車で約30分

佐藤公園

佐藤公園
佐藤慶太郎像
佐藤慶太郎像

高塔山の麓にある「佐藤公園」は、若松の石炭商として財を成し、若松市議会議長も務めた佐藤慶太郎が、昭和9年(1934)年に自邸の土地建物を若松市に寄附し、整備された公園です。

春は桜、6月上旬には紫陽花が咲き誇ります。

明治元年(1868)、現在の八幡西区に生まれた佐藤慶太郎は、大学卒業後、当時の若松町に住み、炭鉱経営者として成功を収めました。

大正10年(1921)、東京府美術館(現・東京都美術館)の建設に当たり、100万円(現在の約33億円相当)を寄付するなど、日本美術界の発展に貢献しました。

昭和9年(1934)には邸宅を若松市に寄付し、晩年は大分別府市に移住。若松の旧邸宅敷地は、現在、佐藤公園として市民憩いの場になっています。

白山神社

白山神社山道
白山神社

JR若松駅から徒歩約20分。高塔山の登り口、佐藤公園に隣接した場所に白山神社があります。

現在の社殿は、昭和13年(1938)に造営されました。

夏の疫病退散・災害消除祈願大祭や山笠奉納神事など、江戸中期より修多羅祇園として受け継がれてきました。

火野葦平(ひの あしへい)旧居「河伯洞」

河伯洞外観

若松出身の芥川賞作家・火野葦平(本名:玉井勝則)は、昭和15年(1940)からその生涯を終えた同35年(1960)までの大半をこの河伯洞で過ごし、「花と龍」や「革命前後」など、多くの作品が執筆されました。

建物は、和風の母屋と洋風な書斎などで構成されています。

庭園を含む和風部分は葦平の父・ 玉井金五郎が構想し、洋風部分は葦平の意向を反映した造りになっています。

尚、「河伯洞」という名称は葦平の河童好きに由来し、河童の住む家という意味が込められています。

高塔山(たかとうやま)公園

高塔山展望台からの夜景
高塔山展望台からの夜景
高塔山野外音楽堂

高塔山の山頂部にある公園には四季の花々が植えられ、春は桜やツツジ、初夏は紫陽花の名所として多くの人々で賑わいます。

万葉の歌にちなんだ若木を集めた万葉植物園、公園広場には河童のタイル画が描かれています。毎年7月には河童伝説ちなんだ「火まつり行事」が開催され、展望台から臨む工業都市の夜景には誰もが魅了されます。

河童封じの地蔵尊

高塔山頂上にある祠には背中に大釘のささった虚空蔵菩薩(かっぱ地蔵)が祀られています。この河童封じ地蔵は、若松出身の作家・火野葦平の小説『石と釘』によって有名になりました。

島郷や修多羅の村人達を困らせる河童を抑えるため、祈祷を続けた山伏が地蔵の背中に1尺の大釘を打ち込み、カッパを地中に封じこめたとする伝説は、河童まつり、火まつり行事に受け継がれています。

火野葦平(ひの あしへい)文学碑

文学碑は、洞海湾を一望する高塔山南側の台地に建てられています。方形の大きな黒御影石で、表面には故人の筆跡で「泥に汚れし背嚢にさす一輪の菊の香や 火野葦平」と刻まれ、裏面には劉寒吉の追悼文があります。

昭和35年(1960)建立され、碑の下には葦平選集八巻・芸術院賞をうけた「革命前後」の原稿や筆記具などが埋蔵されました。

万葉植物園

若松市(当時)は、高塔山公園整備の一環として昭和31年(1956)10月、この地に万葉の歌にちなんだ若木50数種を集めて万葉植物園を開設しました。それぞれの草木にちなんだ代表的な歌を書いた木札が立てられ、楽しみながら歌と植物を学ぶことができます。

火野葦平文学碑に隣接した静かな場所にあり、万葉びとの歌心が感じられる植物園です。

吉田磯吉(よしだ いそきち)像

吉田磯吉像

遠賀郡芦屋町に生まれた吉田磯吉は、川艜(かわひらた)の船頭から身を起こし、明治から昭和にかけて北九州地域の石炭業界に影響を及ぼしました。

16才の時に行商を始め、沖仲仕として頭角を現わし、石炭景気に沸く若松市に移り住みました。大正10年(1921)に政界に進出し、昭和7年(1932)まで国会議員として活躍しました。

地元若松市では実業家として、石炭関係、若松魚市場、運輸関連企業の役員を務め、北九州産業界の発展に大きく貢献しました。昭和11年(1936)1月17日に70才で死去。

仏舎利 塔

高塔山仏舎利塔と中に納められた釈迦像

この塔は、釈尊入滅2500年を記念して、インドのネール首相から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)を祭るため、昭和32年(1957)に建てられました。

高塔山エリアの祭り・イベント

火まつり

火まつり(たいまつ行事)
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/w4100110.html