地元密着型企業として若松の発展に貢献する

地元企業<我が社の強み>中野電話工業株式会社

若松を興す

代表取締役社長 中野浩一さん

昭和4年創業の中野電話工業株式会社は、地元を中心に電話・通信業務、弱電設備、ネットワーク構築などの業務を行っています。北九州地域の顧客が九割近くを占め、その大半が若松という地域密着型の企業です。

「若松あつまる会」の会長職を兼務しながら、地域経済の振興やイベント支援等を通じて地元活性化に尽力する中野社長にお話しをうかがいました。

御社の沿革について教えてください。

中野さん:昭和4年(1929)に中野電話電機工業所として創業し、私で三代目になります。創業当時は石炭産業最盛期の頃で、通信手段として電話需要が高く、これに対応して電話交換手の派遣等も行っていました。

その当時は一般家庭にほとんど電話がない時代です。祖父が逓信省にいたことから、大手石炭会社の若松進出に伴って電話関連の受注が増え、戦時中の一時期、全国的な企業合併によって九州支店若松営業所としての業務を行っていました。戦後、民間企業として事業を再開し、昭和37年(1962)に現在の中野電話工業株式会社に組織変更。今年で創業95年になります。

私が社長業を引き継いだのは34歳の時です。いずれ後を継ぐとの思いで、大学卒業後、通信関連企業に務め九州や関東地方での転勤、支店長なども経験しましたが、父が70歳で引退したのを機に代表取締役を引き継ぎました。

創業以来、若松地域を中心に事業展開されているんですか?

中野さん:そうです。社屋のあるこの場所は「波打」と言う地名の通り、干拓事業によって造成された地域で昔は海だったそうです。私が学生時代、東京で生活していた頃、上京してきた父が若松出身である事を誇らしげに語っていたことを思い出します。それほどに愛着のある場所だったようです。

弊社業務は長い付き合いのお客さんが多いですね。九割くらいが北九州の顧客で、その内の半分は若松地域のお客さんです。事業的には弱電全般を取り扱い、電話、通信、ネットワーク、監視カメラなどに関わる業務を行っています。

「若松あつまる会」では、どのような活動を行っているんですか?

中野さん:「若松あつまる会」は、地域の経済振興事業やイベント等を支援し、若松の発展に寄与することを目的とした親睦団体です。発足当初は20数社ほどでしたが、諸先輩のご尽力で会員が増加し、現在の会員数は101社になりました。若松に所在する会社ばかりでなく、若松と関係のある会社も会員として加わっています。会の活動は基本的に受益者負担ですが、開催行事等でプールされた資金は、行政機関や福祉関連団体、地元振興団体などへの支援金に当てています。

会員の中には、個別に若松の地域活動を支援している企業もありますが、「あつまる会」としては、今年6・7月に若松の公立高校に通う生徒達の地元企業視察を支援しました。

この事業には、若松高校の2年生131名と若松商業高校の1年生141名が参加し、若松地域で操業する11社を視察訪問しました。視察後のアンケート調査によると、参加した生徒の7割近くが「若松での就職意欲が高まった」と回答しており、地元企業への就職を希望する生徒の多いことに気づかされました。

若松の公立高校に通う生徒達の地元企業視察

「あつまる会」の今後の取り組みについて教えてください。

中野さん:響灘工業団地には190社が立地し、そこで働く人たちの昼食事情に関するアンケート調査を行っています。社員食堂の有無や立地企業従業員のニーズにも依りますが、トラックステーションなど施設ができれば響灘地域の利便性が高まるのではないでしょうか。

また、国道495号線の渋滞問題に関しても取り組んでいますが、区内に独身寮を構える大手企業社員の出退勤時に市営バスを活用してもらうとか、時間差出勤に協力してもらうとかすれば、渋滞緩和や環境面にも効果が期待できると思います。

こうした調査や取組みは基本的に行政が行うことですが、「あつまる会」では、今後とも行政の計画をバックアップする役割を担っていきたいと思っています。

 

中野電話工業株式会社の詳細は、http://www.wndk.jp/をご覧ください。